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GooCycle Snaps 「自転車のある人生が大好き!」な人々の愛車&ライフスタイルを紹介

2009.7.15

早大時代は橋本聖子の練習パートナー。現在は高校自転車部の熱血教師Snap17:林泰弘さん/高校教員・自転車部顧問

愛知県にある桜丘高の自転車部監督を務める林泰弘先生は、教え子を全国優勝に導いた実績のある熱血教師。早稲田大学時代は自転車部に所属し、自身も競技生活を送っていた。1988年にはスピードスケートから自転車競技に転向した橋本聖子のトレーニングパートナーを務めた経歴を持つ。林さんのパワーの根源はどこから?

いつの間にか入部していた早大自転車部

愛知県の私立桜丘高等学校で保健体育教員を務める林泰弘さんは現在、自転車部の顧問も担当。毎日、忙しい日々を送っている。

林さんは早稲田大学の教育学部出身で、自転車競技部に所属していた。入部のきっかけになったのは、入学式の時期に行われた体験入部。その頃、林さんは自転車部に入ろうと思っていたわけではなかった。

「高校時代はバスケットボール部で、ずっと団体競技だった。だから、大学は個人競技がやってみたかった。いろいろな競技部に勧誘される中で、なんとなく自転車競技部の入部体験に行ってみた」

入部体験は、3本ローラー(自転車の室内トレーニング専用のスポーツ器具)に乗ってみる、というものだった。

林さんは先輩部員にいわれるがまま、3本ローラーに乗ってみると、先輩がすかさず、「すごい! 君、才能あるよ! 君に合うシューズを探しに行こう!」。

何となくその気になったしまい、部員につれられて近くにあるサイクルショップに出かけた。

そこで、シューズを選び、お店のツケで数万円するシューズを購入させられてしまった。先輩は翌日の練習時間を伝えると帰っていった。

林さんの入部はいつの間にか決まってしまったのだ。そして、ここからツラく厳しい競技者生活が幕を開けた。

全国大会に出場

今まで何人もの生徒が全国大会に出場し、3人の高校日本一を生み出した

自転車競技に熱中した学生時代

自転車競技部の練習は、精神、肉体、金銭的にかなり厳しいものだった。入部してすぐに購入したロードレーサーはアクシデントで壊れてしまった。

その後、再び購入したロードレーサー。夏合宿の時に、山を上位で登りおえて下りに入った時、崖に転落。なんとか木に捕まったが、足に引っかかっていた真新しいロードレーサーは崖の下に落ちていった。

自転車競技を続けるには遠征費やメンテナンス代など、とにかくたくさんのお金がかかった。小さい頃から貯めていた郵便貯金は、その年の夏にほとんど使い果たした。

昼は学業、夕方は競技部の練習、夜は遅くまでアルバイトと目まぐるしい毎日を送っていた林さん。

「あの頃は、練習中に命の危険さえ感じてしまった。同級生同士、こいつがやめたら俺もやめようっていう気持ちだったと思う。先の見えない毎日は本当にツラかった」

その後も、やめたい気持ちと負けたくないという悔しさに葛藤しながら競技生活を続ける苦しい日々が続いた。

しかし、そんな林さんに転機が訪れた。それは、1学年の最後に行われた1985年の早稲田大学と慶応大学が対抗する早慶戦。林さんはこの大会で初めて、男子1kmタイムトライアルで上位入賞を果たした。

「この大会で初めて勝利を手にした時、勝つ喜びを実感した。それ以来、自転車競技の魅力にとりつかれた」

そこから、勝つことが楽しくなり、メキメキと実力を伸ばしていった。競技生活を送る部員たちとともに過ごす毎日は充実していた。そして、あっという間に大学生活最後の年である4年生になっていた。

元々、教員を目指していた林先生は教員採用試験に向けて勉強をしなければいけなかったが、練習に明け暮れた。

「教員採用試験は毎年行われるけれど、大学最後の夏はこの年しかない」

その年、最後となるインカレで林さんは4km団体追抜競走で3位。大学総合では2位に入った。結果、愛知県の教員採用試験に落ちて就職浪人になることが決定してしまったが、後悔はなかった。

早稲田大学の自転車部

早稲田大学の自転車部で自転車の魅力に取り憑かれた


今までで最も印象深い橋本聖子との出会い

大学卒業間近、東京でアルバイトしながら、就職浪人をしようと考えていた林さん。その時、当時の自転車競技部のコーチだった村田統司さんから思わぬ依頼が来た。

1988年夏に行われるソウル五輪に橋本聖子が自転車種目に出場するため、そのトレーニングパートナーを請け負ってほしいというものだった。とてもお世話になった人だけに、断ることができずトレーニングパートナーを引き受けた。

当時、橋本聖子はカルガリー冬季五輪で全種目入賞を果たすという大活躍をしていた。林さんは初めて橋本選手と顔を合わせたこときのとを鮮明に覚えている。想像以上に礼儀正しく、「教わる立場」として謙虚な姿勢を見せていた。 「本当に、この人が全種目で入賞したのか、と思うくらい低姿勢な方だった。そして、一緒に練習をするとすぐに、橋本さんの才能と素質が分かった。しかし、それ以上に人として尊敬できる場面が多かった」

その年、ソウル五輪で橋本聖子はスプリント種目に出場。予選敗退という悔しい結果に終わった。林さんがトレーニングパートナーを終えた後も競技を続け、1kmタイムトライアルと3km個人追抜競走で日本記録を達成。その記録は今も破られていたない。

最後の年のインカレ

最後の年のインカレで早稲田大学は学校対抗で2位に入った


橋本聖子のトレーニングパートナー

88年3月から約半年間、橋本聖子のトレーニングパートナーを務めた
88年に発行された雑誌「AERA」の第1号より


生徒には挑戦することで何かをつかんでほしい

林さんは、トレーニングパートナーを終え、1989年4月に現在の桜丘高に赴任した。自転車競技部の顧問になり、生徒を指導する立場になった。

一人ひとりの生徒に厳しくも、細かなケアをする林さんの指導は、生徒の心を動かした。

林さんが自転車部の指導を始めて8年経った1997年、沖縄で行われた全国高等学校選抜自転車競技大会で松本孝章が男子ポイントレースで優勝。初めて教えた生徒が高校日本一になった。

その5年後、女子選手だった岡田由佳子が高校選抜の女子500mタイムトライアルで優勝。岡田は同年のジュニアオリンピックカップも優勝した。

そして2007年8月、深谷知広が男子ジュニア1kmタイムトライアルでジュニアの日本記録を更新する快挙を成し遂げた。

林さんの指導のもとで才能を伸ばしていく選手は多い。競輪選手で元ナショナルチームに所属する金子貴志もそのひとりだ。

林さんは「自分の指導した生徒が日本一に輝いた時の何とも言えない感動と高揚感。その瞬間を感じたくて、日々指導をしている。それでも、勝利を手にする選手たちばかりではなく、負ける選手が多い。ひたすら何かに取り組むことで、生徒も何かを学んでくれればうれしい」と話す。

林さんの教員としての信条は生徒の力を最大限に引き延ばして、チャレンジ精神を培うこと。

今年で、教員になって21年目を迎えた。これからも、林さんは生徒と向き合い、熱い教員生活を送っていく。

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6月30日(土)〜7月22日(日)
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8月17日(金)〜19日(日)
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